今、男子フィギュアスケート界を熱く盛り上げている人物を挙げるとするのであれば、羽生結弦という名前が間違いなく入ってきます。
プロフィール、そして普段クールに氷上で舞う彼の挫折とは・・・
更にプーさん好きという意外なギャップについても触れていきます。
宮城が生んだスター、羽生結弦
羽生結弦は男子フィギュアスケートを語る上で欠かせない存在です。出身は宮城県で、173センチの身長に53キロ前後の細身なスタイル。<出典:gendai.ismedia.jp>
成績は2008年に初出場した全日本選手権で最年少ながら8位となり、その翌年のGPファイナルでは史上最年少の14歳で制覇、2010年には世界ジュニアも制しました。
シニアに転向した2011年にはロシア杯でGP初優勝し、2014年のソチオリンピック男子シングルで優勝、更に同年の世界選手権でも優勝しています。デビューしてから欲しいタイトルをほぼ手中に収めてきた凄まじい人物です。
羽生結弦、未曾有の大震災で絶望
宮城出身の羽生結弦は仙台のリンクで練習をしていましたが、2011年に東日本大震災が発生しました。<出典:toramomo.exblog.jp>
仙台はダイレクトにその被害を受け、電気・水道などのライフラインが止まり、家に戻れず避難所での生活が続きました。日に日に増える行方不明者、そして死者。こんな状況でスケートをしてもいいのかと、羽生結弦は自問自答しました。
精神的なダメージを受け、スケートをやめて普通の高校生に戻りたいとも思いました。未曾有の大震災は、多くの一般人だけでなく、一人のアスリートの人生も破壊しようとしていました。
乗り越えたからこそ、更に強くなれた羽生結弦選手
立ち止まっていてはどうにもなりません。<出典:www.youtube.com>
羽生結弦は小・中学生の時に指導を受けた恩師の元でスケートをしようと、仙台から離れて神奈川へやってきました。そして仙台のホームリンクがなくなったことによりチャリティーやエキシビジョンをまわりました。
これにより、色々なレベルの高い選手と交流するようになり、自分の技量を磨くことができたのです。
震災の辛さ、くやしさをバネにしてレベルアップした羽生結弦は冒頭で書いたようなタイトルを獲得し、一流のスケーターとなったのです。
プーさんは共に戦う戦友!
最後に、羽生選手を見ていると頻繁にプーさんを抱えていることがあります。<出典:www.ice-skater.info>
もちろん好きだからなのですが、ずっと一緒に戦ってきた戦友という意味合いもあるのです。
震災の苦しさも一緒に乗り越えてきた存在ですので、プーさんは最高の相棒なのかもしれません。